名古屋のカフェや岡崎のHIPHOPなコンビニ「タックメイトセンガ」、お寺など様々な場所で展示を行ってきた「RMA」。オリジナルキャラクターを中心とした作品には、1点ずつそれぞれ違う魅力がある。彼の作品に詰め込まれた意味やストーリーを知ると、RMAと言うアーティストの作品をさらに楽しめるだろう。
初めてRMA氏の展示に行った際、1つずつの作品に込められた意味やストーリーを聞いて私はファンになった。「もっと彼の作品が見たい」と同時に、もっと沢山の人にRMA氏の作品を知ってほしいと思い、インタビューさせてもらった。
RMAインタビュー
–自己紹介からお願いします。
RMA(以下R):アーティストのRMA(ラマ)です。
–アーティスト名の由来はなんですか?
R:本名のイニシャル(R.M)にアートのAをプラスしてRMAにしました。
–個展をやるようになったきっかけはありますか?
R:岡崎のExpressさんでグラフィティを教えてもらって、グラフィティの他にも絵を描く人を教えてもらったり絵の世界を教えてもらったりしたことが始まりです。
絵は小さい時から好きで書いていて高校生の時もYouTubeで見た海外のアーティストの真似をして紙に書いたりしていました。その時期にExpressに行って絵を描く時間が増えていきました。
–その後キャラクターが生まれたりしてくるんですね
R:そうですね。Express行った後にグラフィティにめっちゃ魅了された時期があって、、、
MAD BOXXX行ったりSNSでディぐったりしてグラフィティを見ることにめっちゃハマって、アーティストをいろいろ見る中で「文字より、キャラクター良いな」ってなって、自分もキャラクターが欲しいと思って、色々描いた中でEBE(イーバ)が誕生しました。
キャラクター作ろうと思って、最初にできたのがEBEでこの子でやっていこうと思ったって感じです。
–絵をやる前は、何かやっていましたか?
R:展示とかやるようになる前は、ダンスやってました。クラブでソロやったり、県外に行ってバトルに出たり、小さい大会ですけど、優勝したこともあって、ダンサーとして活動してました。
–ダンスやってたんですね!
R:17歳の高校の部活を引退した頃に始めて、そこから4年くらいダンスに夢中で猛烈に動いてました。でも人間関係でいろいろあってやめちゃって、、、。
EBEくんにについて
–EBEくんの設定はなにかありますか?
R:設定というか僕がMARVEL映画好きで、アベンジャーズで言うマルチバースの世界を信じてるんですよね。「マルチバース」は言い方を変えると、「パラレルワールド」みたいな感じなんですけど、今の自分の人生じゃない人生、例えば画家じゃない時の自分とか、ダンスをずっと続けていた世界とかって無限に存在していると思うから、それをEBEくんで表現したいと思ってます。
EBEくんは1人だけど、色んなEBEくんがいる、色んな世界のEBEくんがいろんな状態で存在している、EBEくんに限らず自分もみんなもそれぞれの世界でそれぞれの状態で存在しているからその世界を描きたいって言う思いがあります。
–EBEくんのトレードマークのようなバンダナやズボンには、何か意味がありますか?
R: バンダナに関しては、深い意味はないです。グラフィティが好きなのでそこからインスピレーションを受けてバンダナをつけたんだと思います。
ズボンの履き方は気に入ってて、EBEはズボンの一番上を折り返して履いてるんです。これは、EBEができた時にディッキーズを折り曲げて履く履き方がギャルの間で流行ってて、それがめっちゃかわいいと思って、自分は履けないからこの子に履かせました。その履き方は衰退して消えていったけど、この子が生まれた年代がわかるので良いなと思ってます。
展示について
–初の個展、刈谷「フェイスポップアートギャラリー」での展示はどのように決まったんですか?
R:僕はやりたいこと、叶えたいことがあったら口に出すようにしてるんですけど、その時は「個展やりたい」ってずっと言ってたんです。
その頃、SNSで繋がっていた人が「フェイスポップアートギャラリー」で個展を開いていて、見に行った際にその人がオーナーさんに僕を紹介してくれました。そこで自分の絵を見せて「これはこんな意味があってこんなことを伝えたくて描いたんです」って1個ずつ説明すると、後日「彼いいね」みたいなことをオーナーが言っていたと聞いて、勇気をもらえて、改めてオーナーに「展示やりたいです」って伝えたら、「いいよ!やりなよ!」って言ってもらえて、初の個展が決まりました。
その時は、ため込んできた80〜90の作品を出したって感じです。
–絵を本格的に始めた時の目標を叶えられたんですね。
R:そうですね。一回目の展示終わって目標達成したんで、あそこでやめてもよかったかもしれないんですけど、まぁ2回目の展示からは欲ですね笑
–初の個展をやれるって決まった時の気持ちはどうでしたか?
R:めっちゃ不安です。すごい不安。人来るかなとか、見て変に思われないかなとか、っていう不安っすね。今まで絵描く人たちと誰一人関わってこなかったから余計怖かったですね。ダンサーやラッパーとの繋がりはあったけど、イラストレーターとかグラフィティライターとかの繋がりは全くなかったので、、、
–実際展示はどうだったんですか?
R:人も来てくれたし、「よかったよ」って言ってもらえたし、一番嬉しかったのは安かったのもあるけど、80枚中70枚とか売れてみんな「これとこれ」とか言って買ってくれて、やってよかったなと思いました。
–その後の展示はどのように決まっていったんですか?
R:タックメイトセンガさんでの展示は、展示をやる1年前にオーナーの方と知り合ってやらしてもらえることになりました。
ゴルチャ(ゴールデンチャイルドカフェ)はダンサーの知り合いが働いてて「なんかやらない?」て言われたから「あ、やります」ていってやらせてもらいました。
–個展を開催するまでたどり着ける人って多くないと思うのですが、絵を始めて展示を開催するまでに何が大事だと思いますか?
R:やる気次第だと思いますそこに関しては。本人次第でやれる。
お寺での展示と父について
–お寺でも個展を開催していましたね。お寺(行心院)での展示はどうやって決まったんですか?
R:2023年の10月に親父が亡くなってその時に行心院さんに葬式などをお願いして、そのタイミングで住職と話したのがきっかけです。
–そうだったんですね、詳しく聞いても良いですか?
R:父が亡くなった時にもう絵を描くのやめようと思ってたんです。
–絵を描く気分じゃなくなったみたいな感じですか?
R:絵は親父のためにと思ってやってたんです。
初の個展(2022年11月)の時、親父はすでに足が悪くて、立てない状態の日もありました。そんな時も個展やる時は元気になってくれてたんです。
最初の展示以外でも、もう立てないかもって時も展示をやるときは、元気になってくれて「俺の絵には人を元気にする力があるんだ」と思ってたんです。だから絵をやり続けようと思ってました。でも親父が亡くなった時に「もうやる必要ないかな」と思って、「親父のために」と思ってやってたからもうやる必要ないと思ってたんです。
それで住職が来てくれた時に、そのことを話をしたら「お父さん見てるからね」「やった方がいいよ、やりな」って言われて、そこからいろんな話をしてもらいました。
展示とかなじゃくてたまたま持っていた絵を見て「これいいね!買うわ」って絵を買ってくれたりもして。その時に「寺で展示やってよ」「寺っていうのは人が集える本当の場所だから、そーゆーことやってくれた方が嬉しいし、まぁお父さんも見てるから」みたいな感じで言ってくれていました。
親父を送ってくれた人との出会いってすげー大切だなと思ったので、親父が亡くなってからの一発目の個展は、お寺でやることに決めました。お寺以外ではやりたくないとさえ思ってました。それで「やらしてください」ってお願いして寺で展示をやることが決まりました。
–お寺での展示にはそんなストーリーがあったですね。2023年10月にアトリエで開催したフリマの時はお父さんが亡くなる前ですか?
R:企画したのは少し前で、フリマを開催したのは親父が亡くなった週でした。9/29に亡くなったので。
フリマを企画した理由は、親父がもう立てない状態だったからなんです。でも自分の絵には元気にさせる力があるから、もう立てないなら家でやろう!ってなって、親父を元気にするためにやるって決めてました。
でも親父はそこまで生きれなくて、親父居ないしやめようかって思ったけど家族と話した時に「やろうとしてることはマイナスじゃないし、やったほううがいい」っていう結論になって親父の死の直後だったけど開催することにしました。
幼少期や家族について
–両親は絵のことを初めから応援してくれていたんですか?
R:子供の頃から絵は描いてたのでその延長みたいな感じで見守ってくれてるんだと思います。
昔は両親の夫婦喧嘩が結構多くて、親が喧嘩してる時は、兄貴が「こっち来い」て言って違うところに連れ出してくれました。兄と全てをシャットアウトするみたいな感じで、夫婦喧嘩の時は絵を書いて時間を過ごしてました。
–2人で絵を書いてたんですか?
R:2人でやってたかな、昔すぎて忘れちゃったけど僕は異常なくらい書いてて、漫画書いたりしてました。兄貴も漫画好きだから2人で漫画作ったりしてたと思います。
–夫婦喧嘩の時にお兄さんと絵を書いてたのはいくつくらいの時の話ですか?
R:小学生とかですね。小さい頃から絵は生活の中にありました。兄貴は、たまにだったかもしれないけど自分は絵描くの好きだったのでひたすら書いてた気がします。
–お父さんは絵の活動を喜んでくれる感じだったんですね。
R:親父は元々バンドやってて、音楽活動をやってたみたいなんです。
僕は生まれてないからわかんないですけど。東京に行ってデビューするってなってたらしいです。でもライブハウスのオーナーにこき使われたりとかがあったりして結局それで飯食うみたいな感じにはならなかったらしいんですけど。自分もそーゆーことをしてきたから応援は絶対してくれるんですよ。「昔の俺を見てるようだ」みたいなことも言ってたし
助言的なもので覚えているのは、「どこに行きたいか」を聞いてきて「俺は描きたいから書いてる、とにかく自分がやれるところまでは行きたい」って言ったら、父は「仕事辞めないなら良いよ」って言ってました。「お金お金ってなりだすと苦しくなっていくし、人に騙されたりすることもあるから」って言ってましたね。
–「お金のためにやるようになってはいけない」って言う考えだったんですね。
R:そうですね。めっちゃ子供思いで、いい父親でした。そんな親父を元気付けるって言うモチベーションでずっと描いてたって感じです。
–写真を見てもいい父親な感じが伝わってきます。最初の個展の時にはもう体調崩していたんですか?
R:そうですね。
–じゃあ基本は病院にいたってことですか?
R:基本は実家でした。「病院には行きたくない」って言う感じだったので
–写真見る限りそう言いそうなお父さんですよね(笑)
R:頑固なとこありましたね(笑)なので仕事しながらずっと闘病生活って感じでした。死ぬ1週間前まで仕事してましたね。
—お兄さんは絵はやってないんですか?
R:やってないですね。フリースタイルフットボールやってます。
–お母さんはどんなお母さんですか?
R:うーん。ポジティブマン。(笑)ポジティブっすね。そこだけは学びます。(笑)
今後の活動について
–すでに決まっている展示の予定はありますか?
R:2024年の12月にOnirakuさんと2人展をやります。2025年は4月に岩田商店で個展があります。
–今挑戦してることは?
R:フィギュア作りです。まだ途中ですけどフィギュア作りを通して画力はめっちゃ上がったと思います。あとはスプレーですね。Onirakuさんに教えてもらって自分の知らない世界を教わってます。
–今後の目標は何かありますか?
R:うーん、でかい目標から言うと世界的に有名になりたい。
もうちょっと近いので言うと『Ollie』と『HIDDEN CHAMPION』に出たいのと『BEAMS』とコラボしたいです。
目標もう一つはアトリエで店を立ち上げることです。展示やったりできるような場所にしたいです。
あと来年くらいにやりたいなって思ってるのがイベントです。出店とかいろいろいくんですけど、自分が作り上げたイベントを篭田公園でやりたいなって思ってて、自分が好きな人たちとイベント作りたいなって考えてます。ライブペイントもやりたいですね。2025年中にやりたいです。口に出しとけばやれると思ってます(笑)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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