RMAインタビュー 〜父の闘病と絵の力〜

–自己紹介をお願いします。

RMA(以下R):アーティストのRMA(ラマ)です。

–アーティスト名の由来はなんですか?

R:本名のイニシャルRMにアートのAをプラスしてRMAにしました。

–個展をやるようになったきっかけはありますか?

R:岡崎のExpressさんでグラフィティを教えてもらって、グラフィティの他にも絵を描く人達を教えてもらって、エクスプレスで絵の世界を教えてもらったのが始まりです。

–絵をやる前は何かやっていましたか?

R:絵の前にダンスで高みを目指してて、クラブでソロとかやったり、県外に行ってバトルに出たり、小さい大会ですけど、優勝したこともあって、ダンサーとして活動してました。でも人間関係でいろいろあってやめちゃって。

–ダンスやってたんですね!ダンスはいつからやってたんですか?

R:17歳の高校の部活を引退した頃に始めました。そこから4年くらいダンスに夢中で猛烈に動いてましたね。

–Expressで「絵の世界面白い」ってなってから絵を描き始めたんですか?

R:絵は小さい時から好きで書いてました。

ダンスやってる時に、グラフィティというものが何かは知らないけど、外に描いてある絵がかっこいいと思うようになってちょっと真似して紙に書いたりしてました。後は、YouTubeでグラフィティではないけど模様みたいなのを描く海外のアーティストを見て「かっこいい」と思って、真似して模様みたいなぐちゃぐちゃした絵を描いてる時にExpressに行って絵の広げ方、表現の仕方みたいなモノを教えてもらって「絵ってそういう世界があるんだー」ってなってから絵を描く時間が増えていきました。

–その後キャラクターが生まれたりしてくるんですね

R:そうですね。Express行った後にグラフィティにめっちゃ魅了された時期があって、、、

Express行ってMAD BOXXX行ったりSNSでディぐったりして一時期グラフィティを見ることにめっちゃハマって。

で、アーティストをいろいろ見る中で「文字よりもキャラクター良いな」ってなって、自分もキャラクターが欲しいと思って、色々描いて行った中でEBE(イーバ)が誕生しました。

キャラクター作ろうと思って、最初にできたのがEBEでこの子でやっていこうと思ったって感じです。

目次

EBEくんにについて

–EBEくんの設定はなにかありますか?

R:設定というか僕がマーベル映画好きで、アベンジャーズで言うマルチバースの世界を信じてるんですよね。マルチバースは言い方を変えるとパラレルワールドみたいな感じなんですけど、今の自分の人生じゃない人生、例えば画家じゃない時の自分とかダンスをずっと続けていた世界とかって無限に存在していると思うから、それをEBEくんで表現したいと思ってます。

EBEくんは1人だけど、色んなEBEくんがいる、色んな世界のEBEくんがいろんな状態で存在している、EBEくんに限らず自分もみんなもそれぞれの世界でそれぞれの状態で存在しているからその世界を描きたいって言う思いがあります。

–目が一つになったりフォルムが変形する理由はありますか?

R:深い意味はないんですけど、依頼で絵を描く時はキャラクターメインで頼まれることばかりじゃないし、それは自分だけじゃなくて雑誌とかに載るようなアーティストもそうだと思ったのでEBEを全部書かなくてもRMAの絵ってわかるような象徴が欲しくて目玉だけ書いたりするようになりました。

–確かにキャラクターメインの依頼じゃない場合って他のアーティストでも多いですね。
EBEくんのバンダナは何か意味がありますか?

R: これも深い意味はないけど裸は寂しいし服もなんか違うなってなってバンダナになりました。グラフィティが好きなのでそこからインスピレーションを受けてバンダナをつけたんだと思います。

–EBEくんのズボンは何かこだわりがありますか?

R:ズボンの履き方は気に入ってて、EBEはズボンの一番上を折り返して履いてるんです。
これは、EBEができた時にディッキーズを折り曲げて履く履き方がギャルの間で流行ってて、それがめっちゃかわいいと思って、自分は履けないからこの子に履かせました。その履き方は衰退して消えていったけど、この子が生まれた年代がわかるので良いなと思ってます。

作品作りについて

–作品を作る時は何かを感じてから描く?描きながら進めていく?

R:考えてから描くことが多いですね。描くぞーって言うよりは何か感じた時とかに絵で表現するって感じが多いです。

パッ!て思いついたものを紙にメモっといて、後でしっかり絵にするとかはあります。基本的には考えたり、感じた時とかに書き出します。

-使う色には何かこだわりがありますか?

R:赤と黄色と緑をよく使いますね。なんでこうしたかわからないけど、いい色になるように、色合いが大切だからと思って書いてたら自然にこの色が多くなってきました。

なんで自分がこの色を選んで、見た人からも色がいいって言われるのかなって考えた時に思ったのは、ラスタカラーのカラーリングだからなのかなっていうふうに思ってます。

–絵を始めた時から最近意識して変えた部分はありますか?

R:最近はアウトラインを無くして描くことを始めました。イラストでは無いという象徴と言うか、絵の世界とかイラストレーターとかに縛られたくないってところからアウトラインを書かなくなりました。

必要な時は描くんですけど、お寺で開催した「見えてるものが全てじゃない展」の展示からアウトラインなしの作品も展示するようになりました。

-アウトラインなしの反響はありましたか?

R:結構よかったです!でも気づかない人も多くてアウトラインを失くしたってことを知って「確かに無いね!」ていう人が多かったので僕としてはそれが嬉しかったです。気づかないほど馴染んでたってことだし、黒線がなくても「なんかいいな」って思って買ってくれるってことは自分のやってることは間違ってないんだと思いました。

展示について

–初の個展、刈谷「フェイスポップアートギャラリー」での展示はどのように決まったんですか?

R:僕はやりたいこと、叶えたいことがあったら口に出すようにしてるんですけど、その時は「個展やりたい」ってずっと言ってたんです。

その時期にSNSで繋がってる人が「フェイスポップアートギャラリー」で個展をしていました。その個展を見に行った時に展示やってた人が「この子も絵を書いてるんだって」みたいな感じで僕を個展会場のオーナーさんに紹介してくれました。「どんな絵を描いてるの?」って言ってもらえたので、自分の絵を見せて、これはこんな意味があってこんなことを伝えたくて描いたんですっていう風に1個ずつ説明しました。そしたら後日、個展会場のオーナーが「今まで見た中であの子が一番いいよ。あの子ならいけるよ」みたいなことを言ってたって言うふうに個展やってた人からメッセージきて、それで「俺やれるかもしれない」って思って勇気もらえて、もう一回オーナーさんに会いに行って「展示やりたいです」って言ったら「おぉいいよいいよ!やりなよ!」って言ってもらえて初の展示が決まりました。

その時は、ため込んできた80〜90の作品を出したって感じです。

–絵を本格的に初めて最初の目標が展示でその目標を叶えられたんですね。

R:そうですね。一回目の展示終わって目標達成したんで、あそこでやめてもよかったかもしれないんですけど、まぁ2回目の展示からは欲ですね笑

–初の個展をやれるって決まった時の気持ちはどうでしたか?

R:めっちゃ不安です。すごい不安。人来るかなとか、見て変に思われないかなとか、っていう不安っすね。今まで絵描く人たちと誰一人関わってこなかったから余計怖かったですね。

ダンサーやラッパーとの繋がりはあったけど、イラストレーターとかグラフィティライターとかの繋がりは全くなかったので、、、

–実際展示はどうだったんですか?

R:人も来てくれたし、「よかったよ」って言ってもらえたし、一番嬉しかったのは安かったのもあるけど、80枚中70枚とか売れてみんな「これとこれ」とか言って買ってくれて、やってよかったなと思いました。

–その後の展示はどのように決まっていったんですか?

R:タックメイトセンガさんでの展示は展示をやる1年前にオーナーの方と知り合ってやらしてもらえることになりました。

ゴルチャ(ゴールデンチャイルドカフェ)はダンサーの知り合いが働いてて「なんかやらない?」て言われたから「あ、やります」ていってやらせてもらいました。

–個展を開催するまでたどり着ける人って多くないと思うのですが、絵を始めて展示を開催するまでに何が大事だと思いますか?

R:やる気次第だと思いますそこに関しては。本人次第。

お寺での展示と父について

–お寺でも個展を開催していましたね。お寺での展示はどうやって決まったんですか?

R:2023年の10月に親父が亡くなってその時に行心院さんに葬式などをお願いして、そのタイミングで住職と話したのがきっかけです。

–そうだったんですね、詳しく聞いても良いですか?

R:父が亡くなった時にもう絵を描くのやめようと思ってたんです。

–絵を描く気分じゃなくなったみたいな感じですか?

R:絵は親父のためにと思ってやってたんです。

初の個展(2022年11月)の時、親父はすでに足が悪くて、立てない状態の日もありました。そんな時も個展やる時は元気になってくれてたんです。

最初の展示以外でも、もう立てないかもって時にも展示をやるときは、元気になってくれて「俺の絵には人を元気にする力があるんだ」と思ってたんです。だから絵をやり続けようと思ってました。

でも親父が亡くなった時に「もうやる必要ないかな」と思って、「親父のために」と思ってやってたからもうやる必要ないと思ってたんです。

それで住職が来てくれた時に「絵は親父のためにやってたから、もうやる意味ないかなと持ってて」って話をしたんです。

そしたら「お父さん見てるからね」「やった方がいいよ、やりな」って言われて、そこからいろんな話をしてもらいました。

祈祷とかも全部頼んでるから、またお寺に行った時に「これお願いするわ」ってお寺の中に飾る絵を描いてくれってお願いされて「あなたの思う死後の世界を描いてくれ」って言って、本も渡されてその本も見てお寺に飾る大きな絵を書かせてもらいました。

展示とかなじゃくてたまたま持っていた絵を見て「これいいね!買うわ」って絵を買ってくれたりもして。その時に「寺で展示やってよ」「寺っていうのは人が集える本当の場所だから、そーゆーことやってくれた方が嬉しいし、まぁお父さんも見てるから」みたいな感じで言ってくれていました。

親父を送ってくれた人との出会いってすげー大切だなと思ったので、親父が亡くなってからの一発目の個展は、お寺でやることに決めました。お寺以外ではやりたくないとさえ思ってました。それで「やらしてください」ってお願いして寺で展示をやることが決まりました。

–お寺での展示にはそんなストーリーがあったですね。2023年10月にアトリエで開催したフリマの時はお父さんが亡くなる前ですか?

R:企画したのは少し前で、フリマを開催したのは親父が亡くなった週でした。9/29に亡くなったので。

フリマを企画した理由は親父がもう立てない状態だったからなんです。でも自分の絵には元気にさせる力があるから、もう立てないなら家でやろう!ってなって、親父を元気にするためにやるって決めてました。

でも親父はそこまで生きれなくて、親父居ないしやめようかって思ったけど家族と話した時に「いや、やろう!やろうとしてることはマイナスじゃないし、やったほううがいい」っていう結論になって親父の死の直後だったけど開催することにしました。

家族について

–両親はダンスや絵のことは応援してくれていたんですか?

R:子供の頃から絵は描いてたのでその延長みたいな感じで見守ってくれてるんだと思います。

昔は夫婦喧嘩が結構多くて、兄貴が良い兄貴だったんで親が喧嘩してる時は、兄貴が「こっち来い」て言って違うところに連れ出してくれました。兄と全てをシャットアウトするみたいな感じで、夫婦喧嘩の時は絵を書いて時間を過ごしてました。

–2人で絵を書いてたんですか?

R:2人でやってたかな、昔すぎて忘れちゃったけど僕は異常なくらい書いてて漫画書いたりしてました。兄貴も漫画好きだから2人で漫画作ったりとかしてたと思います。

–夫婦喧嘩の時にお兄さんと絵を書いてたのはいくつくらいの時の話ですか?

R:小学生とかですね。小さい頃から絵は生活の中にありました。

兄貴は、たまにだったかもしれないけど自分は絵描くの好きだったのでひたすら書いてた気がします。

–お父さんは絵の活動を喜んでくれる感じだったんですね。

R:親父は元々バンドやってて、音楽活動をやってたみたいなんです。

僕は生まれてないからわかんないですけど。東京に行ってデビューするとかってなってたらしいんですけど、ライブハウスのオーナーにこき使われたり、みたいなのがあったりして結局それで飯食うみたいな感じにはならなかったらしいです。自分もそーゆーことをしてきたから応援は絶対してくれるんですよ。「昔の俺を見てるようだ」みたいなことも言ってたし

助言してくれたのは「どこに行きたいか」をまず聞いてきて「俺は描きたいから書いてる、とにかく自分がやれるところまでは行きたい」言って、父は「仕事を辞めないなら良いよ」って言ってました。「お金お金」ってなりだすと苦しくなって行くし、どこかでブチッと切れてしまう。人を信用しすぎたりして騙されたりすることもあるからって言ってましたね。

–「お金のためにやるようになってはいけない」って言う考えだったんですね。

R:そうですね。めっちゃ子供思いでいい父親でした。

親父を元気付けるって言うモチベーションでずっと書いてたって感じです。

–写真を見てもいい父親な感じが伝わってきます。最初の個展の時にはもう体調崩していたんですか?

R:そうですね。

–じゃあ基本は病院にいたってことですか?

R:いや基本実家で「病院には行きたくない」って言う感じだったので

–写真見る限りそういうこと言いそうなお父さんですよね(笑)

R:頑固なとこありましたね(笑)なので仕事しながらずっと闘病生活って感じでした。

死ぬ1週間前まで仕事してましたね。

–えぇー!すごいっすね。
お兄さんは絵はやってないんですか?

R:やってないですね。フリースタイルフットボールやってます。

–お母さんはどんなお母さんですか?

R:うーん。ポジティブマン。(笑)ポジティブっすね。そこだけは学びます。(笑)

今後の活動について

–今後の展示の予定はありますか?

R:2024年の12月にOnirakuさんと2人展をやります。2025年は4月に岩田商店で個展があります。

–2人展の準備は順調ですか?

R:いや、、、あんまりしてない。。。(笑)あれやりたいとかこんなのどうっすか?て提案したり計画はたくさんしてるけど、全然進んでないっすね(笑)

–今挑戦してることは?

R:フィギュア作りです。

12月に展示やる会場がフィギュア作るところなのでそこで教えてもらってます。

まだ途中ですけどフィギュア作りを通して画力はめっちゃ上がったと思います。

あとはスプレーですね。

Onirakuさんに教えてもらって自分の全然やったことない知らない世界を教わってます。

今後の目標

–今後の目標は何かありますか?

R:うーん、でかい目標から言うと世界的に有名になりたい

もうちょっと近いので言うと『Ollie』と『HIDDEN CHAMPION』に出たいのと『BEAMS』とコラボしたいですね。

–雑誌出れたら熱いっすね〜

R:目標もう一つはアトリエで店を立ち上げることです。展示やったりできるような場所にしたいです。

あと来年くらいにやりたいなって思ってるのがイベントです。

出店とかいろいろいくんですけど、出店するイベントで自分の価値下がることもあるなって思ったんですよね。だから自分が作り上げたイベントを篭田公園でやりたいなって思ってて、自分が好きな人たちとイベント作りたいなって考えてます。

Onirakuさんに話たらライブペイントのベニヤたてて描くやつやろうよって言われて「え、そんなやつあるんすか」ってなってめっちゃ面白そうなんでライブペイントもやりたいですね。

2025年中にやりたいですね。

口に出しとけばやれると思ってます(笑)

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